このゲームが猛威を振るっていた当時、私は九州の片田舎でチマチマとペーパーゲームを 作り仲間と休み時間に遊んでいた中学生でした。田舎に、なかなかブームが来ないのは同 じ境遇だった人、あるいは今そういう境遇にある人(といっても当時から比べれば浸透度 の具合は異なるかも知れませんが)なら少しは分かってもらえるかも知れません。
スペース・インベーダー(Space Invaders/TAITO 1978)と言う名前をはっきり聞いたのは、 おそらくテレビのCMが最初です。もしかすると、ニュース番組やバラエティか何かで聞い ていたかもしれませんが、意識し始めたのは紛れもなくテレビCMです。テレビCMと言って も決してタイトー自らが宣伝したわけではありません。要するに、インベーダー台をリー スしませんかという話なのです。そう言う業者がテレビに宣伝を打っていたほど、このゲ ームの流行は凄まじかったのです。
スペース・インベーダーと言うゲームは所謂シューティングゲームの元祖と言っていい作 品で、それは大袈裟でなく歴史的飛躍でした。自機は1発だけビーム砲を撃つことが出来、 五段十数列(11列か13列か?)のインベーダーを殲滅すれば次の面へ進めるというもので す。自機の前にはトーチカが4つ等間隔に並んで守っていますが、ゲームが進行するにつ れ自機やインベーダーからのミサイルで崩れていきます。インベーダーは3種類居て、キ ャラクターの違いによって最上段が30点、次の二段が20点、下の二段が10点となっていま す。
これに味付けされているのが時折左右から出没するUFOで、50点から300点まで(見かけ上) ランダムに高得点を提供してくれます。後に、このUFOの出てくる方向と得点のローテーシ ョンを把握することがハイスコアラーに与えられた命題になっていきます。得点のローテ ーションに関しては、本当はこの記述しておきたいのですが何分完璧に覚えていないので 今回は控えておきます。ただ、どのプレイヤーでも100点が一番多く出て、7発目と14発目 が50点といったことはかなりの確率で覚えていることでしょう。特に14発目の50点は、300 点のすぐ前に配置されているのでより印象に残っているのです。
当時このゲームが50万円したと言った話や、音楽を聴くのが好きだったこともあって、外 国のロック・タレントがこのゲームを買って遊んでいるといった話をラジオで聴いたよう な覚えがあります。(間違いでなければ、そのとき聞いたのは、プリテンダーズのクリッ シー・ハインド。もちろん、そういうアーティストは他にも多数居たでしょう。)
私がスペース・インベーダーの現物を初めて見たのがどこか、今となってははっきりしま せんが、おそらく日南市の繁華街にあった、ブティック等が入っていた三階程度の小さな 雑居ビルの階段の踊り場だったと思います。「サンパリコ」とかいう名称も微かに覚えて いますが、これがビルの名前なのか、ブティックの名前なのか定かではありません。ここ で、おやっと思われた方もいると思います。ゲームセンターでも、喫茶店でもなく、雑居 ビルの階段の踊り場なのです。ゲーム台は1台、もしくは2台あったと思います。
確かに、スペース・インベーダーは喫茶店にも置いてありましたし、そう言うお店に親と 入ったときに1回だけ親の目の前でテレビゲームを遊んだことがありました。もちろん、 それもスペース・インベーダーでした。やがて、近くのボーリング場がゲームに浸食され る形になりインベーダー・ハウスからゲームセンターへの模様替えを行っていきます。や がて、ギャラクシアンなどの時代になると、ゲームの種類の多さもあってそこがホームグ ラウンドになりますが、インベーダー自体は階段の踊り場でほとんどプレイしました。
シンプルながら黒い背景に色鮮やかな所謂8ビットRGBの色彩が綺麗で、幾何学的なデザイ ンも相まってインベーダーの虜になっていきました。当時は、海外と違って日本ではテー ブル筐体がほとんどでした。80年代後半くらいまではゲームセンターでも見ることが出来 ましたが、2Pの為のスペースを取ること、画面が大きくなるにつれ水平では見にくいこと (対戦ゲームの絡みも若干あるのか)からかどうかは知りませんが、やがて姿を消してい きます。
テーブル筐体は我々80年代ゲーマーのノスタルジーを誘いますが、この筐体はそれだけで なく、ゲームセンターの常連にとっては結構機能的でした。元々喫茶店で使用するのを前 提としているため文字通りテーブルとしての機能を果たします。飲み物や灰皿、果ては弁 当までを安心して(←重要)置くことが可能です。2Pで遊ぶときはお互いが対面している のでソロプレイの対決といった風情がありましたし、前後にスペースをとっているので、 現在の横並びのアップライト筐体よりゆったりと遊べました。
プレイの観点から言えば、今の筐体はレバーが垂直に立ちボタンが水平に付いていますが、 テーブル筐体では、レバーが水平に出ていて、ボタンが垂直になっています。おそらくレ バーの使いやすさからこうなっているのだと思いますが、この後の連射時代に突入すると ボタンの連射には限界がありそうですね。この頃は、一発必中。敵に当てて初めて見かけ 上の連射が可能だった時代なのでこれで十分であったわけですが。
さて、話が横道にそれましたが、スペース・インベーダーはその社会現象とも言うべき流 行から雑誌など様々なメディアにも取り上げられました。私が唯一手にした紙媒体は、週 間プレイボーイでした。よく考えてみてください。ほとんど子供だった当時しかも田舎で この雑誌を手にする勇気を。しかし、このゲームはそれを手にさせる魅力があったわけで す。その号には、お金を払って買うだけの価値がありました。
最初はおそらく立ち読みで記憶して帰ったはずですが、最終的には購入に至ります。これ は、なぜ覚えているかと言えば、その該当の部分を切り取って持ち歩いていた記憶がある からです。その記事とは、UFOに関するものでした。インベーダープレイヤーなら常識とも 言える300点UFOの取り方に関するデータです。最初が23発目、以後15発周期というあまり にも有名な攻略法は、この記事によってより補強されることになります。要するに、全て の配点が一覧表になったからです。1発少ないと最悪の点数になると漠然と知ってはいて も、レアな150点が何発目で出るかとはそれまで知りませんでした。そして、300点は逃し ても被害は最小限に押さえるといったより細かい調整が出来るようになって嬉しかった覚 えがあります。
インベーダーの基礎知識と言えば、名古屋撃ちがあまりにも有名です。当時、まさかその 名古屋に本拠を移すことになるだろうとは夢にも思いませんでしたが、私が名古屋撃ちを どこで覚えたのかは定かではありません。もしかすると先のプレイボーイ誌かもしれませ んし、他のプレーヤーを見ていて盗んだのかも知れません。前者だと遅すぎるような気も するので、後者だった確率が高いような気がします。
名古屋撃ちとは、インベーダーが最下段まで降りてきてもインベーダーの発するミサイル と自機の間に1キャラ分の隙間があることから当たらないと判定されることを利用するも のです。これを知っているといないとでは、ゲーム性が全く変わってしまうほど重要な技 で、最初はリスクを負って敵を下に近づけるような印象を受けますが、慣れてくれば逆に やりやすくなります。
名古屋撃ちは上級者のほとんどが使っていたはずですが、その違いはその敵のフォーメー ションの残し方にあります。一番多かったのは、左に最上段の1匹を残して間を開け、右 の方に大量のインベーダーの固まりを残すといった方法だった様な気がします。(私自身 もこのフォーメーションを使っていました)後は、真ん中を一掃して左右に同じ固まりを 残す方法など人それぞれでした。もちろん、打ち損じが生じたりして思うようにいかない ときには普段使っている型を外して対応する必要もありました。
定期的に出てくるUFOは得点源ですが、それが故にゲームを左右する要素となります。これ を狙いに行ってフォーメーションが疎かになると非常事態にも陥りやすくなりますが、そ れというのも15発にタイミングを調整して待っているためです。タイミング調整には、空 撃ちが一番ですが、後半は空撃ちできるスペースも限られ、また時間が足りないときには トーチカにわざと当てて調整します。また、トーチカが朽ち果ててしまっている場合には インベーダーの隙間を通すなどと言うことも必要です。これは、逆にUFOをどの位置からも 狙うためには必須となる上級テクニックでした。ギャラリー受けもしますし、難しいだけ に決まると気分がいいものです。
最後の詰めに関しても、縦一列派と横一列派があったように思います。横一列だと打ち損 じが即ゲームオーバーに繋がるので結構緊張します。私は縦一列派でしたが、このやり方 は後に有名なレインボー現象を生み出すことになります。下から順位に撃って行くわけで すが、たまに外れて上の方のインべーダーに当たってしまうことがあります。これから一 番下のインベーダーが残って最後の一匹になると尾を引く(1ドットが消えずに残る)現 象が生まれ所謂意味無しバグ現象の走りとして今に語り継がれています。
何分初期の簡単なゲームなので怪奇現象は少なかったですが、それでも先のレインボーを 初め、インベーダーの化石化(トーチカと同じ役目になる)や、不条理感爆発の二段落ち など強烈なバグも存在しました。
スペース・インベーダーは非常にシンプルなゲームでしたが、パターンを速やかに遂行し ハイスコアを目指すことは素直に面白いことでした。私自身は、2万〜3万点くらいまで 行った覚えがありますが、インベーダーの初期配置が最下段まで降りてきたあと、途中に 戻りその繰り返しとなるため(思えば難易度 中←→難 という作りもここから既に定式化 していますね)超上級者にとってはほぼエンドレスゲームとなっていたようです。ですか らいろいろ曲芸的なプレイを試したりする人も出てくるわけです。ある本には、足でプレ イしたという記録も残っていますね。面後半クリアまでのヒット&アウェイのリズム、UFO を確実に仕留めた時の充実感がインベーダーの面白さです。
モノクロ、セロファンからカラーへ、ハイスコア表示も4桁から5桁へとマイナーチェン ジもしていき、インベーダーハウスと呼ばれるスペース・インベーダーをやるためのお店 が繁盛していた頃にはもう社会現象となっていました。100円玉不足説とか、パチンコ店経 営危機説とか、まじめに語られていた時代です。その後、アルカノイドやテトリス等複数 の台数が置かれるゲームはありましたが、スペース・インベーダーほどゲームセンターを 埋め尽くしたゲームは前代未聞で、まさにTVゲームというもの自体を世間に浸透させたま さにエポックメイキングな出来事だったわけです。
インベーダーを遊んだことがなくても「ゲームセンターあらし」というコミックを知って いる人も多いでしょう。最近になってまた復刊されたりと再評価と言っていいのかどうか 分かりませんが、容易に手にすることも出来るみたいで、オールドゲームファンとしては 懐かしい限りです。もちろん社会現象になったくらい流行ったゲームでしたから、その後 攻略本も出たようです。
当時はコピーも横行していましたが、また各社から亜流のインベーダーゲームが数多く出 されていました。セガや任天堂も出していましたが、例えばセガのスペース・アタックは、 名古屋撃ちが出来ずにその分面白味に欠けたと行った部分もありました。それでも、台が 空いていなければ遊びましたし、その仕様でどこまで行けるかと他社のゲームもそれなり に遊んだものでした。
その後、スペース・インベーダーはパート2が出始め、インベーダーの分裂、点滅UFO、補 充されるインベーダー、公になったボーナス付きレインボーなど新フィーチャーを配して 我々に挑んできました。さすがに初代ほどのインパクトは既に無く、インベーダーブーム は収束していきます。
しかし、これは発展的収束だったのでしょう。TVゲームが市民権を得、その後インベーダ ーから発展したギャラクシアン等にその意志は受け継がれていきます。実質的なポスト・ インベーダ−は、この後にカリスマブランドとなっていくナムコのギャラクシアンでした。
スペース・インベーダー自体も、TVゲームの歴史を受け継ぐものでしたが、それは当時の 開発者に言われるまでもなく容易に想像できます。ボールを跳ね返すだけのポン(所謂テ ニスゲーム)から障害物を配したブレイクアウト(所謂ブロック崩し)へ、そしてその障 害物を攻めてくる敵として変形させたスペース・インベーダーがそこにはあります。そし て、整列前進していたインベーダーを離脱飛行させランダムな攻撃感を持たせたギャラク シアンへと行った流れは歴史の必然だったのでしょう。その後は背景に意味を持たせ地上 物+空中物といったコンセプトのゲームへとさらに進化していきます。ハード的にも、2 方向レバー+1ボタンから8方向+2ボタンへと複雑化していきました。
この頃からずっと継続してTVゲームを遊んでいる人にとっては、歴史そのものがゲームス キルの向上に繋がっています。それは、まさにゲームという科目を小学生から中学生、高 校…と学んで行くがごとく感じられると、たとえても良いかも知れません。
スペース・インベーダーは、その後もリターン・オブ・ジ・インベーダーズ等直系の続編 も登場する通り、度々再評価リメイクされるタイトルです。発売から既に25周年、四半世 紀も前のことがつい昨日のように思い出されるのは、やはり自分の人生にとってこのゲー ムが如何に重要なポジションを占めていたかということの現れだと思います。当時は、イ ンベーダーやUFO、トーチカ、ビーム砲のドットパターンを自然に暗記し、机やノートによ く落書きしていたものでした。
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当初からこのシリーズのラインナップには入っていましたが、2003年はスペース・インベ ーダー25周年ということで、先に執筆しておくことにしました。スペース・インベーダー 大作戦なるテクノコンピアルバムが発売されたり、記念クラブイベントが行われたり、関 連グッズが発売されたりと、様々なキャンペーンも展開されているようです。
開発者自らが当時の状況を思い出混じりに語ったり、秘話めいたものも徐々に明らかにな ってきているようです。ここ名古屋でもつい最近イベントがあったようですが、情報をチ ェックし損ねたため見ることが出来ませんでした。なんせ、自分の活動範囲に思い切り入 っている場所での開催だっただけに非常に残念なことをしました。
今や家に居ながらにして全世界の人々とオンラインで対戦できたり、ハードも高機能にな り非常にリアルで複雑なゲームが遊べたり、果ては携帯電話で片手間に昔のゲームセンタ ーのゲームが遊べたりとかなり贅沢な時代になってきましたが、これも長年にわたる歴史 の積み重ねによるものの結果であることを踏まえ、この機会に古き良き日のオールドゲー ムを改めて振り返ってみてはどうでしょうか。
2003.09.06(ed.1)
2003.09.11(ed.2)