コーヒーブレイクの2回目は、私の当時の友人、知人達について記しておこうと思います。
ディグダグでイエナガ・デビューを果たした私は、このゲームがきっかけで先住の常連達 と徐々に知り合いになり仲良くなっていきます。
私の行きつけのゲームセンターであったイエナガでは、入学当時このゲームセンターで ギャラガなどと肩を並べる程の人気を誇ったユニバーサルのレディ・バグというゲームが ディグダグの1つ奥の台に入っていました。
私は、セガのヘッド・オンやナムコのパックマンを始めとする俯瞰視点の迷路型ドットイ ートゲームは、私の苦手とする分野でこのレディ・バグもそうプレイすることはありませ んでしたが、ゲームとしては高く評価しています。
ドアを開け閉めしながらプレイするドットイート型の発展系のような好ゲームなのですが、 このゲームをよく囲んでプレイしている工業化学科の学年で1つ上の常連達がここには居 ました。そしてネームエントリーには、必ずKAOの文字がいくつも打ち込まれていました。 実際には、1人のプレイヤーではなく、数人のグループだったというのが事実だったので すが。
その5,6人の集団が常連らしいことには気付いていましたが、初めての土地、初めての 大学生活、こちらからは声をかけることはなく、私自身はディグダグやムーンパトロール を中心にイエナガでのプレイを一人ながら満喫していました。そうこうしているうちに、 ディグダグでイエナガでのハイスコア争いに絡むぐらいに上手くなってギャラリーも付く ようになると、私もちょっとだけ目立つ存在になっていたようです。
アイレムの人気作品ムーンパトロールについても、エキスパートコースに行けるほどの腕 はあり、そこそこのスコアを出していましたが、ある日、いつも見かける常連の一人から 声をかけられます。
「ディグダグも、上手いよね。」
こちらが、レディ・バグの画面に興味を持っていたように、向こうもこちらのディグダグ やムーンパトロールのプレイに興味を持っていたようです。
後に、自分の下宿に居た3人の中の一人が、その人達と同じ工業化学科のクラスメイトだ ったということも判明し、そのことも重なって顔なじみになっていきます。実際、その集 団の内の一人、KAO氏は私の下宿にもときどき足を運んでいました。
ちなみに、私の下宿は、入学当時4年生の経済学部のIkeda氏、私、理工学部電気工学科の Matsugaki氏、そして理工学部工業化学科のKaiya氏の4部屋で、この中で唯一ゲームセン ターに興味があったのが私でした。また、余談ですが、最初にこの下宿から居なくなるIkeda 氏は、ウォーゲームにはちょっと興味があり、こここでガンダム系のゲームの色付けをし たといった思い出もあります。
最初に声をかけてきた人は、Yoshidaと言う人でした。どちらかというと、テレビゲームよ りはパチンコが趣味の人で、イエナガには日中よりもパチンコからの帰りで立ち寄ってい くといった感じでした。ちなみに、Yoshida氏の下宿はイエナガから2,3分といった近い ところにあったので、その意味でも暇なときにふらっと来ることがありました。
そういうYoshida氏でしたが、得意なゲームもあって、データイーストの傑作バーニンラバ ーに関しては身内の中で一番腕が立ち、仲間内ではただ一人100万点を記録していたプレイ ヤーでした。私も、そのプレイを参考にしながらバーニンラバーをよく遊んだものです。
Yoshida氏をきっかけに、KAO氏、Shimazaki氏、Miyagawa氏、H.M氏、Imura氏、Tomita氏な どを中心としたイエナガの常連グループと仲良くなり、よく話をしたり、ゲームも一緒に プレイするようになります。
KAO氏はヘアスタイルが鳥の巣のように爆発していたユニークなキャラクターでやはりパチ ンコが主な趣味でした、Shimazaki氏はMr.Do!の回に出てきたX1ユーザーでアップンダウ ンなどが得意だった記憶しています、Miyagawa氏はバックパニックのカンストプレイヤー、 Tomita氏は私がその後タイトーでアルバイトするときの紹介をしてくれた人でした。
そして、この集団の中で最もゲームに興味が強かったと思える人が、H.M氏でした。
彼は、工業化学科グループ、俗称KAO軍団(レディ・バグのスコアエントリーにはいつも このKAOというネームが数個入っていて、しかもそれはKAO氏本人だけでなくその友人達も 意味もなく使用していたのでした)といつも行動を共にしていましたが、実は電子工学科 の人間で、ゼビウスの時に256の意味を説明してくれたのがこの人でした。彼と一緒に大学 の研究室にいくとパソコンに入っている信長の野望やキャッスルといった当時の人気パソ コンゲームを見せてくれたりしたのも覚えています。H.M氏は、ときどきシューティングも やりますが、ゼビウスに関しては最初から興味を持っており、一緒にプレイしたこもあり ます。
個人でコンピュータを持つことが珍しい時代、それは貴重な経験であり、また彼が如何に ゲームが好きかという部分を知るきっかけにもなりました。彼はオーケストラで管楽器を やっていたり、それ以外の活動もやっていたりと何かと忙しい人物で、よく私のプレイを 見ながら居眠りをしていた記憶が強いのですが、H.M氏とはその後も活動を共にし、よく遊 んだものでした。ドルアーガの塔発売直後には、久留米遠征も一緒にしたりします。
彼はゲームに幅広く興味を示し、実際に得意なゲームも多く、件のレディ・バグはもちろ んのこと、シグマのポンポコではビール面までパターンを作り上げ、SNKのジョイフルロー ドでは100万点オーバー、シューティングゲームよりはどちらかというとパターン化の必要 なゲームを得意としていました。
イエナガとの付き合いが長くなるに連れてKAO軍団以外の常連の顔も見えてきます。
まず、私の先輩に当たる数学科のKEN&Yamaguchi氏。この人達は学年でいうと2つ上で、 私と同じ高校から男性でただ一人(女性では4年にもう1人)数学科に入っていた入学の 際お世話になった人のクラスメイトでした。また、深い繋がりではありませんが、ディグ ダグの回で出てきたDIG氏も実は数学科であったといったことも聞いたような気がします 「やんね」「やんるときゃ、やるもんね」や「イカパタ」といった、仲間内の使い回しは ここから来ていました。
この先輩達はMr.Do!が得意で、ビデオゲームもよくプレイしていましたが、それと同様に ピンボールを愛していた人達でした。その影響で私も高校生の頃は遊んだことの無かった ピンボールを遊ぶようになります。テレビゲームよりも、より体を使って遊ぶピンボール も負けず劣らず魅力のあるゲーム体系でした。プレイしたことの無い人には是非お勧めし ます。
数学科で言えば、ただ一人同じクラスでゲームセンターに足を運んで居た人間が居ました。
そのYSL氏は、長崎県出身のクラスメイトでしたが、言葉を交わすようになったのはなぜか ゲームセンターが先です。彼と知り合うきっかけは、彼がパチンコに通い詰めており、そ こで先にKAO軍団のKAO氏やYoshida氏と顔なじみとなり、そこからイエナガに来るようにな ってから仲良くなったのでした。
YSL氏とは、ピンボールやMr.Do!、マリオブラザースを始め様々なゲームを一緒に遊びま した。マリオブラザースのタイマン・プレイを一番やったのはおそらく彼とでしょう。彼 は、中島みゆきのファンであり、また私が当時興味を持っていた小泉今日子にもやや関心 を示していました。
この他には、大学関係では、ギャラガ編で登場した 経済学部のGomita氏がいます。
この人とは、他にエクセリオンやバーディキング2などをよく遊びました。エクセリオン では一緒に100万点を目指して頑張っていたものです。また、ゼビウスも最初の頃は一緒に プレイし攻略を楽しんだものです。凝るゲームを限定してそこでは実力を発揮するといっ たちょっと変わったプレイヤーでした。またまた余談ですが、後にドルアーガの塔に出て くるウィル・オー・ウィスプの紹介もある(しかし、この本を知ったのが先)ボルヘスの 「幻獣辞典」は彼が手に持っていた物を私が見て気に入り、購入に及んだという物でした。
私の後に入った人間で唯一仲良くなったのが、同じ学科ではありませんが、Kuzume氏(K.K) とSYH氏が居ます。ロードランナー・シリーズを2人で攻略していた彼等とは、シリーズIII をきっかけに仲良くなり、その後忍者くんやレイダース5といったUPL作品などでプレイを 共にしました。特に、Kuzume氏は、忍者くんではこの界隈最高のプレイヤーだったはずです。
大学絡みでは、後々ドルアーガがきっかけで知り合いになった、Hatada氏(BUN)が居ます。 宮崎から持ち帰った私のお土産は、Hatada氏の手にも渡り、1コインクリアは、実は私よ り彼の方が早かったという笑えないような話もありましたが、それだけ彼も上手いプレイ ヤーだったのでしょう。ナムコのドラゴンバスターでは、おそらくエンドレスプレイヤー だったはずです。同社のバラデュークも一緒にクリアした覚えがあります。
共通の話題があれば仲良くなるのに年齢は関係ありません。その後大学関係者以外にも知 り合いが増えていきます。
イエナガで、KAO軍団と共に、極めて目立っていた存在が、年下のM.T少年でした。私が入 学当時はたぶん高校生にもなっていなかったと思いますが、とにかく居るはずのない時間 にいつも居るので、不思議でした。彼は、とある事情で体が悪く、そのせいで学校を休み がちなのだ語っていましたが、そういう彼ともハイパーオリンピックの頃から仲良くなり はじめ、Mr.Do!は、よく2プレイで競い合ったものでした。イエナガ伝説のタイトー・ ジャンピュータ36時間マラソンのきっかけを作ったのも、彼とその仲間でした。
イエナガの姉妹店ジュピターでフリッキーをプレイしている頃には、M.T氏の知人の専門 学校生、Ishida君が私のライバルとなりました。彼はアイアン・メイデンを知っていたり する良い奴でしたが、よく2プレイをしながら正体不明の隠れキャラクターに一喜一憂し ていたものでした。
ここで私自身が、他人にどう見られていたかの変遷、ハイスコアネームを記しておきまし ょう。
ディグダグをプレイするまでは漠然と"KKK"と打ち込んでいた私は、案外使われ ているパターンで実は目立たなく、意味もちょっと間違えると危ないものになってしまう ので、ディグダグでハイスコアを出せるようになってからは"IDE"と名前を変え ました。これは当時好きだったアニメのイデオンからとったものでしたが、ローマ字読み で「いで」と読むことが出来るため本名と見られていたこともありました。
その後、Mr.Do!時代になるとザブングルから転用したRUGを名乗るようになり、主なゲー ムで使い始め、以降長い間これを愛用することになります。
ゼビウスなど後発のゲームでは、3文字を越えるネームエントリーも出来るように、例え リブルラブルではうる星やつらからとったSAKURA。ハイパーオリンピックの時は専用ネー ムのY.I(Y.H)等も使っていました。このY.Iに至っては、どこから来たのか自分自身でも 忘れてしまいましたが…
各人が固有のネームを持つことで、もうゲームセンターに来て先に帰ってしまったんだな とか、このハイスコアは、仲間が出したのだなとかいうことが分かります。一般にはどう でもいいようなネームの打ち込みですが、常連達の間では、しっかりコミュニケーション の一端を担っていました。
私がイエナガを離れる前の1985年後半は、旧KAO軍団のH.M氏、Yoshida氏等、Hatada氏、 YSL氏、K&S氏、M.T君などと共に遊ぶことが多かった気がします。ちなみに、私の上の学 年の人が3年4年経っても一緒に遊ぶことが出来ていたのは…。まぁ、それはそれとして。
実は、私が大学を離れて社会人になってから、つまり名古屋に来てから、2度このイエナ ガに帰省ついでに立ち寄ったことがありました。
名古屋から日南に帰省する途中に佐賀に寄り、イエナガに顔を出したのですが、1回目のと きは、Yoshida氏やM.T氏、YSL氏などと再会を果たしました。イエナガが24時に閉まった後、 宿代を浮かすためにそのまま徹夜で麻雀をしに仲間の下宿に潜り込みました。実は、下宿 仲間とは麻雀を打ったことがありますが、ゲームセンター仲間とは実は初めてだったりし ます。
2回目の時は、名古屋から車で帰省する途中に立ち寄りました。佐大の駐車場に車を止め、 イエナガのおばさんとは再会しましたが、さすがに、このときは他の仲間とは会えません でした。私は、最初から車中で寝る想定をしていたので、その夜は佐大の構内で過ごし、 翌日日南へ帰っていきました。
最後のイエナガに立ち寄ってから既に15年が経過しますが、その後のイエナガがどうなっ たのか全く掴んでいません。
どこのゲームセンターでも、長くプレイしていれば常連通し仲良くなり、そして行動を共 にし、一緒にゲームを遊んで楽しんでいたと思います。ただでさえ面白いアーケードゲー ム、仲間がいればさらに面白くなるのは当たり前です。イエナガで知り合った友人達とは 今では離れ離れになり連絡を取り合うこともありませんが、思い出だけは確実に各人の心 に刻み込まれているはずです。
インターネットの現代、もし万が一このサイトを見つけて、「俺のことが書いてある」と 思った人が居たら… 決してあり得ない話ではないと思います。
2002.05.04(ed.6)
2002.03.29(ed.1)