日本ではゲームをやるとき、麻雀でも花札でもトランプでも、右まわりの習慣があります。 外国風のローテーション(まわり方)はいつも時計の針の進行方向と同じ左まわりです。 日本では「どろぼうまわり」とよんでいやがります。どうして日本は外国と反対に右まわ りの習慣があるのかずっと不思議でした。
あるとき古いスペインのゲームであるオンブルに右まわりの習慣があったのを知って、永 年の疑問は氷解しました。日本にはじめてカルタが入ってきたときの貿易相手国がポルト ガルとスペインだったのですから。
ここで、日本にカルタが入ってきたころ、諸外国ではどんな種類のゲームが流行っていた か、という西洋カルタ事情について、すこし触れておきます。当時ポルトガル人が、日本 にもちこんだ四十八枚のポルトガル・パックを使って、どんなゲームをしたかがわかると よいのですが、資料が不十分でありません。これは海外でも同様らしいのです。
『ポルトガルの竜』の著者ウェイランドは、十七世紀のはじめにポルトガル・パックでプ レーされたとおぼしきゲームを、三つのタイプに分けています。
まず、オンブル系のゲーム、次にプリメロ系のゲーム、そしてギャンブリング・ゲームの 三種です。ギャンブリング・ゲームといっても漠然としていますが、日本へ入ってきてカ ブやキンゴとなったバカラ系のゲームのことです。十分な資料が活用できるはずのアメリ カの研究家でさえ、古いポルトガルのゲームを調査するとなるとその見解はひどく常識的 です。
まずオンブルです。オンブル(Hombre)はスペイン語で「人」の意味です。ギブスの私家 版によると ŏm-brě と発音するのが正しいのだそうです。オンブルとタロッコの発生はほ ぼ同時期です。オンブルは十四世紀の終わりに、スペインを中心に猛烈な勢いで流行をは じめ、タロッコは十五世紀にイタリアを中心に盛んになりました。タロッコは一世紀後に すでにおとろえをみせ、他のゲームに変化していくのですが、オンブルの生命は根強く、 ホイストと政権交替するまでおよそ五百年近くのあいだ、ゲームの王者としてヨーロッパ に君臨します。
三角のテーブルはないか、とデパートできけば、「ないもん買い」の客とまちがえられる にきまっています。「ないもん買い」という落語は、あわせの蚊帳とか、三角のざぶとん とか、変な注文の連発で店員をからかうはなしです。
十七世紀から十八世紀のオンブルの全盛時代には、三人ゲーム用の三角形のオンブル専門 テーブルは珍しいものではありませんでした。当時流行のゲームをあつめた1734年版 の『コンプリート・ゲームスター』Complete Gamester の口絵には婦人をまじえた 三人の人物が三角形のテーブルを囲んでオンブルをプレーしているところが描かれていま す。
オンブルと並ぶ最古のゲームにプリメロがあります。プリメロの発生地をイタリアという 人も、スペインであろうという人もいます。プリメロの全盛期は十六世紀の南ヨーロッパ でした。プリメロは海を渡ってヘンリー七世の時代にイギリスに上陸し、エリザベス女王 時代の宮廷の人気ゲームとなりました。ヘンリー八世が、その子エドワードが生まれる晩 に、徹夜でプリメロをしたという記録も残っています。シェークスピアの戯曲『ウィンザ ーの陽気な女房たち』や『ヘンリー八世』の芝居の中にプリメロというセリフが出てきま す。
これほど盛んに行われたにもかかわらずプリメロの競技法については、ほとんど書き残さ れたものがありません。プリメロについてこれまでのところもっともくわしい記述は、悪 徳数学者とよばれたジェロラモ・カルダノの『サイコロ遊びについて』という論文です。 カルダノはこの論文で確率論のいしずえを築き上げたといわれています。
ウェイランドのいう三番目のギャンブリング・ゲームとは、いわゆるバンク・ゲームをさ すものと思われます。バンク・ゲームというのは胴元と賭け手に分かれて勝負が争われる ようなタイプの賭けごとをいいます。ゲームの目的をひとことでいえば、何枚かのカード の額面数(ピップ・バリュー)を足し算して(端数は切り捨てる)ある特定の数に近いプ レーヤーが勝ちになる、というゲームです。
日本にカルタが伝えられたころ、外国人が手ほどきしてくれたこの種のゲームは、ちょう ど子供に数を教えるように、カルタの数字の加算だけが問題になる比較的単純なゲームで すから、たとえば言葉は通じなくても簡単にコーチすることができたと思われます。
カブ(スペイン語の九)は、九に近い数字のプレーヤーが勝つというゲームです。古いス ペインでは、ファームといって、十六を最高とするゲームがありました。日本では十五を 最高とするキンゴというゲームが享保(1716-35)頃流行しました。この種のゲーム(ギャ ンブル)はその変種が非常に多く、いろんな変形が世界中でみられます。二十世紀のアメ リカではやっているのが二十一点を最高とするゲーム、ブラックジャックです。
1978年に東京の画廊で、「世界のカード・コレクション」という展覧会が開かれまし
た。このパンフレットに出品者のひとりであるデトレーフ・ホフマンのまえがきがありま
す。
中国、インド並びにヨーロッパおよびヨーロッパの影響を受けた国々では、いわゆるアデ
ィング・ゲームが普及しているが、一方日本は、マッチング・ゲームの古典的な国である。
カブやバカラはホフマンのいうアディング(加算)・ゲームにあたるのでしょうか。
これらのゲームのうちどのゲームがどんな形で日本に入ってきたかというのは難しい問題 です。オンブル、プリメロ、タロッコとなると、そのもとの形が伝わっていないだけに、 非常に微妙な表現をしなければなりません。
カルタは海竜のように七つの海をかけめぐります。
カリフォルニアのサウスウェスト博物館に展示されているアパッチ・インディアンの手づ くりの皮製のカードに、ポルトガル・カードの影響を発見するとき、私たちは賭博文化の 伝播力の強烈さに今さらのようにあきれるほかはありません。まるでポーの描く赤死病の ように。