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コインジャーナル・ゲーメスト共催 第11回 アーケードゲーム懸賞論文 入選(佳作)作品 |
| 『アーケードゲームの永続性について』 |
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皆さんは、アーケードゲームをこれまで、どのくらいの間遊んで来られただろうか。私に関して言えば、ある小さなビルの踊場に置いてあったスペースインベーダーに百円玉を投じてから、もうすぐ二十年が経とうとしている。現在も時間を見つけては、ゲームセンターへ足を運び、新しいゲームとの出会いを探している毎日である。
言うまでもなく、私はアーケードゲーム愛好者である。敢えてアーケードと付けたのには訳があって、正確に言うならば私はゲーム愛好者であり、この場合のゲームとは、アーケードゲームを含む所謂コンピュータゲームはもちろんのこと、トランプやボードゲーム等のテーブルゲームとも呼ばれるものその他を含む、総体的な意味でのゲーム体系を指している。少し話が逸れたようだが、これからアーケードゲームを広い意味でのゲーム体系の中の一分野と位置付けて話を進めていくので、この事を覚えておいて欲しいのである。
さすがに二十年近くも付き合っていると、思い出に残るエピソードと共に、記憶に残るゲームも数多くあり、大好きだったゲームを久しぶりにプレイしたいとか、当時深入りしなかったゲームを改めて遊んでみたいと思うこともある。目を見張るべき進歩を遂げた、現代のアーケードゲームで彩られたゲームセンターを知る今でもこの想いは変わらない。
アーケードゲームは、ボードゲームなどの非電子ゲームと異なり、その実現方法がコンピュータを利用するものであるため、テクノロジーの進歩と共に、より斬新で表現力豊かなものへ変化していく。進化と言っても良いだろう。確かに、本来シンプルなシステムのものが、演出の仕方次第で優れた作品に仕上がっている例も幾つか見られる。
しかし、ここではゲームの本質は、別な所にあると考えたい。やや漠然とした言い方になるが、それはゲームシステムであり、その根幹を成すルール付けである。この視点に立てば、つまり、見た目の華やかさに惑わされなければ、過去の限られた表現方法の中で創造されたアーケードゲームと、最新のテクノロジーで演出されているアーケードゲームとを、対等に位置付けることが出来る。
アーケードゲームというものは、本来ゲームセンターでプレイされるもので、プレイヤーとゲームの作り出す空間─あるゲームと幾多のプレイヤーによるリプレイの総体、またはそれによって表面化してくる、そのゲームの持つ奥深さの探索の歴史─は有限であり、時には刹那的でさえある。そして、それが本当に意味するところは、アーケード市場での商品としての短命さという意味ではなく、そのゲームがこの世に存続し得るかどうかの可能性についてである。これは、家庭用のビデオゲームでも同じ事が言えるのだが、電子ゲームの宿命みたいなもので、ゲームの存在がハードウェアに依存している以上、機械が壊れ、そのあらゆるサポートも不可能になったときに、そのゲームの歴史は幕を閉じる。
「ゲーム」に心を奪われた者としては、新旧問わず、お気に入りのゲームをいつでも好きな時に遊びたいという願望がある。アーケードゲームも、その例外ではない。一旦、テーブルゲームの世界に話を移すが、例えば伝統的なボードゲームであり、世界中で広くプレイされているチェスというゲームがある。皆さんが、何らかの機会にチェスに興味を持ってそれをプレイしたいと思えば、然るべき手段を講じて容易にプレイすることの出来るゲームである。もっとも確実な方法は、チェス盤と駒のセットを手に入れることである。これで、好きなときに、しかも半永久的にチェスを遊べるわけである。
今度は、アーケードゲームの場合で同じように考えてみよう。かつて大ブームを巻き起こし、今なお直系のリメイク版が発表される程の人気ゲーム、テトリス(セガ,一九八八年)を取り上げてみる。テトリスを手に入れるとはどういう事か。一つの方法は、アーケードゲーム愛好者の間では古くから実践されているやり方だが、それは、テトリスの基板を購入しそれを稼動させることの出来る環境を整えることである。幸いにもテトリスの場合は、基板を比較的容易に探し出すことが出来る。これで、先程のチェスの場合と同じ条件が与えられたと考えられそうだ。
しかし、そこには決定的な違いが内在していることに気付かなければならない。チェスセットを購入した場合には、チェス盤と駒を手に入れたと同時に、「チェス」という(無形の)ゲームシステムをも手に入れた事になっている、という点に注目しなければならない。
仮に、今この世から全てのチェスセットが消えてしまったと仮定する。しかしながら、来世紀のゲーム愛好者がチェスをプレイすることは可能である。なぜならば、ゲームの本質であるシステムが、正確に語り伝えられさえすれば良いからである。例えば、誰か一人がチェスを伝承すれば良い。最悪でも、それを記述した何かが残っていさえすれば、チェスというゲームは再現され得る。
そんなことは当たり前ではないか、という人が居るかもしれないが、これが非電子ゲームの持つ大きな特色である。実は、ゲームの持つ真の意味での生命、この世で存続し得る可能性とはこの事であり、アーケードゲームにおいても、それを実現させる方法論があるかを模索するのが本論文のねらいである。
「チェス」というゲームを手に入れるということは、簡単にまとめれば、チェス盤のレイアウト、駒の種類と初期配置及び動き方に関する約束、ゲームの進行の仕方や勝敗の決め方等を知ることと言えそうだ。この場合、駒の形状等は本質的な問題ではない。なぜなら、各々の区別が付きさえすればゲームとして成立するからである。そして、それらを踏まえていれば、チェスというゲームを任意に再現することが可能となる。
この、再現するに必要な最低限の情報が、ゲームとしての本質であり、通常ルールとしてまとめられているものにほぼ等しい。ゲームとして、あるいはゲームとプレイヤーの織り成す空間が半永久的であるというのは、この再現性が保証されるかどうかであると、定義することが出来るのではないのだろうか。
アーケードゲームの場合、再現に必要とされるシステムの抽出は難しい。理由の一つは、ボードゲーム等と違ってルールの範囲が曖昧で、戦略・戦術の部分と重なり合っているように思えるからであるが、たとえブラックボックスを紐解いてアルゴリズムを透明化してやっても、今度はデジタル表現によるゲーム体系であるという部分が障壁となる。
ボードゲーム等でも、リメイクされ、パッケージも新たに、再度市場に出回ることもあるが、そこでは基本的に全く同じゲームが提供されている。ビデオゲームの世界でのリメイク、あるいは異なるハード間での移植とは根本的に違うものと考えなければならない。ハードウェアが世代交代しても、プログラム上のアルゴリズムを忠実に移植することで、見かけ上ゲームの継承は行われるが、細部まで忠実に再現することは不可能である。
昔ながらの、固定画面の面クリア方式キャラクターアクションゲーム、例えばパックマン(ナムコ,一九八〇年)等で、ある完成されたクリアパターンを試したときに、移植された方でもオリジナルと全く同じ展開になるとは限らない。厳密な立場では、これはあるゲームシステムの、狭義の意味でのアレンジバージョンと捉える。そして残念ながら、今現在アーケードゲーム等のコンピュータゲームに再現性を保証する手段を私は知らない。
これからの課題として、もちろんその方法の探究は続けなければならないが、同時に現在の段階で、再現性により近づく為の代替手段を講じなければならない。ゲームそのものが再構築出来ないのならば、せめて作り上げられたゲームの持つ属性、歴史、空間等を情報化して残すことはすぐにでも始めることが出来る。
文字媒体では各種設定や基本ルール等ゲームの概要、攻略論とその結果であるハイスコア録、許されるならば仕様、アルゴリズム等。また映像媒体では、文字や絵で表現できない部分としてのゲーム概観、スーパープレイやレアプレイ等のリプレイ集、サウンド等をフォローする。これらの情報は、単に資料的価値を持つだけでなく、後にアーケードゲームを再現する際に必要となるものである。これらの資料は、既に部分的には世の中に存在しているが、明確な目的を持って系統立てた上で、これらを保存管理していく体制を構築することがさしあたっての目標となる。
貪欲なゲーム愛好者は、アーケードゲームにも再現性を求めようとする。現実問題として、一生のうちでゲームをする時間は限られているので、求めるゲームを全て収集したところで遊び尽くせないのも事実だ。しかし、再現性が保証される、いつでも好きなゲームを展開できる環境が与えられることが重要であり、また、決して無意味なことではないと考える。優れたゲームシステムは、世代を超えて語り継がれなければならない、それがゲーム愛好者にとって、またゲーム界にとってかけがえのない財産である事に、間違いは無いからだ。
アーケードゲーム資産(に限らず「ゲーム」全般)を客観的に評価して、それを後世に継承していくということを今考えつつあるところだが、今回の論文を読まれて、このことに共感を持たれた方は、今からでも個々に行動を起こしてもらいたいと思う。そしていつの日かそれが、一つの成果となって結実し、ゲーム愛好者達のバイブルとなって、幾多の名作ゲームを召喚する魔法のアイテムへと昇華する日を心待ちにしている。
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